国内最古で最高所に所在する重要文化財の2棟の山小屋建築で、各5間×4間の大きさの木造切妻造建造物である。北棟は享保11年(1726)に、南棟は明和8年(1771)に加賀藩により建設され、太い柱や厚い板など厳しい自然条件に対応した豪壮な構造となっている。
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HERITAGES
山と水を畏れ敬う遺産
国内最古で最高所に所在する重要文化財の2棟の山小屋建築で、各5間×4間の大きさの木造切妻造建造物である。北棟は享保11年(1726)に、南棟は明和8年(1771)に加賀藩により建設され、太い柱や厚い板など厳しい自然条件に対応した豪壮な構造となっている。
立山信仰の里宮にあたる前立社壇で、室町時代後期の木造檜皮葺五間社流造の神社建築である。外観は大規模で豪壮な建築で、内陣には漆工芸や金箔金具の華麗な装飾がみられる。立山信仰の成立と発展を考察する上で貴重な文化財である。
岩に不動明王坐像を中心とした5体の仏像の浮き彫りで、平安時代中期に山岳信仰の拠点寺院に設けられた巨大な磨崖仏である。剱岳を信仰の対象とする山岳信仰と追刻された阿弥陀如来坐像により、古代における仏教の受容過程が理解される。
平安時代から鎌倉にかけての剱岳を対象とした山岳信仰の拠点としての性格を示す経塚、墓跡、寺院跡の遺構が存在する。円念寺山経塚では24基以上が確認され、北陸地方最大の経塚件数を誇る。経塚容器や密教法具など貴重な信仰用具が出土している。
称名川は弥陀ヶ原台地の北端をV字状に深く侵食し、落差が日本一の350mの大滝となって落下する。滝の轟音が念仏の称名に酷似することから命名されたと言われ、立山の大自然を信仰の対象とした象徴のひとつである。
雄山山頂の東側直下にある圏谷で下部にはモレーンが三段に形成されている。
明治時代に山崎直方博士によって発見され、日本に氷河が形成されていたことを立証した記念物である。
近世に立山信仰の中宮寺であった芦峅寺の雄山神社の境内には、樹齢300~500年の100本以上のタテヤマスギ巨木が生育しており、立山信仰の祈願殿にふさわしい尊厳な雰囲気を醸し出している。
中世から山岳信仰の宗教村落として繁栄した芦峅寺地区内に設けられた閻魔堂には、平安時代から江戸時代までの閻魔王をはじめとする十王の像など13体が安置されており、江戸時代に行なわれた布橋灌頂会の重要な施設として立山曼荼羅に描写されている。
里宮である岩峅寺から室堂までの禅定の路傍に中世から近世にかけて安置された石塔と石仏群で、三十三観音像や地蔵菩薩像など44体が据えられている。立山禅定の道しるべであるとともに、往時の人々の信仰心を窺い知ることができる。
立山の火成活動や称名川によって形成された自然地形や遺構の数々である。玉殿岩屋は開山縁起の阿弥陀如来出現の洞窟であり、地獄谷には様々な地獄が見立てられ、下流の侵食断崖は悪城の壁といったように山岳信仰に由来する名称がつけられている。
近世に立山信仰の中宮寺であった芦峅寺の雄山神社に所在する木造切妻造平入建物で、桁行1間、梁行2間の小ぶりながら精巧に造られた社殿である。天正16年(1588)の棟札があり、立山信仰の祈願殿としての役割を果たしている。
立山信仰の宿坊施設としては改造されずに現存する唯一の建造物で、19世紀中頃の木造平入板葺建物である。内部は接客と宿泊のための部屋割りとなり、虹梁や木鼻等の細部構造に宗教建築としての色彩が認められる。
標高1,600~2,000mで、約10万年前の火砕流と溶岩で形成された広大な台地である。湿原となり池塘が発達している。仏教の受容により、夏季には高山植物が咲き乱れる穏やかな高原地帯であることから命名されたものである。